マッドマックス 怒りのデスロードはマスターピース

全世界でボンクラのハートを熱くさせている「マッドマックス 怒りのデスロード」。
ボンクラ映画ラブな小生も例外ではなくマッドマックスかぶれているので、簡単ではあるがその魅力を語っておきたい。

未開の民族のドキュメンタリーを見ているような前半

「荒廃した世界にて現人神:イモータン・ジョー様を中心に構築された社会を紹介するドキュメンタリー」を見ている気になるウォー・ボーイズたちの生態描写が物語にリアリティを与えている。
死ねば神の宮殿に招かれるという「来世利益」を追求した結果、ランサーもドライバーもガンガン突っ込んでいくわけであり、
独占的権力を持った新興宗教団体という解釈でみれば、あの団体は理解しやすい。

イモータン・ジョー様=ロックスター

ウォー・ボーイズにとってのイモータン・ジョー様は、十代の若者にとってのロックスターみたいなもんだと思えば、ニュークスの心酔っぷりも分かりやすいのではないだろうか。
そう考えれば女ができて醒めるのも理解できる。
ヒューマンガス様も「ロックンロールのアヤトラ」であり、世界が荒廃したのがロックスター全盛期くらいだったと考えれば、「ロックスター=神」なのもあながち間違ってもない。
ロック少年だったおじさんにとって、ニュークスは感情移入しやすいキャラだ。

ちなみに、一作目のボスがイモータン・ジョー様を演じられておる。


「映画的」な物語展開

ハイオク血液の輸血袋のマックスさんと裏切り者のフュリオサさんが信頼関係を築いていく様がすばらしい。
お互いの技量を認め合い、ライフル射撃の際にマックスがフュリオサさんに肩を貸す展開が熱い。
「あんたもやるけど、射撃に関しては私のほうが上だから悪いけどやらせて」「最後の一発、悔しいがこいつの任せたほうが確実に当たる」という思いを一瞬のためらいで表現している、あの描写こそ背中を任せられる関係が出来上がっていることを示す場面であり、映画的な物語の語り口である。
(そして、その後のマックスの「マジか」という表情も素敵)
全体を通してセリフでの状況描写がほとんどなく、映像で語っている点がただのヒャッハー映画でないマッドマックスの魅力である。

大画面で楽しみたい「映画」

レンタルやオンデマンドで家で映画をみられる時代に、なぜわざわざ映画館に見に行くのか。
IMAXの宣伝文句ではないが「体験しに行くんだよ!映画の一部になるんだよ!」というのが私なりの答えである。

男女がうじうじしてる映画だったらわざわざ映画館に行かなくても家でテレビで見れば良いと思う。
だが、ビッグバジェットでド迫力の映画こそ大画面かつ大音響で鑑賞するべきであり、マッドマックスこそ映画館で見るのにふさわしい映画なのだ。

さらにすばらしいのは、このCG全盛のご時勢に大体のアクションを「生身」でやっているところだろう。
さすが、ジョージ・ミラー監督である。
1作目のカースタントが話題になって、長い間「低予算で高収益を上げた映画」としてギネスに載っていた監督が2010年代に映画をビッグバジェットで撮ったらどうなるかを見せつけてくれている。
技術が進化しても、生身の人間が魅せるアクションには心躍らされるものがあることを再認識させてくれる一本だ。

以下広告

にしても、同じ監督がベイブ撮ってるんだぜ…。頭ん中どうなってるんだ・・・?


映画ファンとして必修の一本、マッドマックス2。ヒューマンガス様の偉大さを体験せよ!

コメント

このブログの人気の投稿

ヤマダ電機の安心会員住所変更をした

JP1の定義をドキュメント化するjp1ajs2.jobdocが超便利

curlでADのドメインユーザーでプロキシを超える